大津波にのみ込まれ壊滅した現在の大槌町の街を歩く。
震災から1年半が経ち、新聞やテレビで見た瓦礫の散在は人や車が通れるほどに片付いている。
コツコツと作業を続けているボランティア団体は後を絶たない。
鉄筋構造ゆえにかろうじて残った建物の損傷は惨い。
一見見通しのよい広大な沿岸の荒れ地。
雑草が隠している間仕切りのようなコンクリートが戸建住宅の土台だと気付いた時、そこに手向(たむ)けられた花束が次々に目に飛び込む。
再起した喫茶店に入り注文したコーヒーとケーキは思いのほか美味しかった。
「ここは街の中心でとても賑やかだったのよ、隣もあっちも銀行で病院もあって人も沢山住んでいてほら、あそこは大槌の駅があってとっても便利で賑わって、とても…」と窓の外を指示しながら堰を切ったように説明するオーナーの赤崎さんの瞳には、以前の街並みが映っている。
沢山の人が誤って逃げた方角は見るのも嫌と言った。
駅はもうない。見えるのは崩壊した防波堤や橋脚。
行き場もなく積み上げられた瓦礫の巨大さはショベルカーやクレーンをも小さく見せる。
いつの間にか奥の席に座る赤崎さんは、両手を膝の上に置いてじっと窓の外を見つめている。
先ほどとは別人のように悲しく、静かだった。
ここに住み日常を送る人たちは、目が覚めれば嫌でも現実と向かい合う。
人間は忘却の生き物である。されど忘れることさえ許されない。
この震災を教訓とし決して忘れるなかれと言うは易い。されど耐え難きこと。
つづく。