先月号でほのめかした長崎紀行も、日が経つにつれ記憶が薄れていく。
それでも印象に残ってるのは、佐世保では、あるべき場所に柵や手すりが無かったり、あってもやたらと低いと感じたことだ。
歩道橋を渡った時や九十九島を見渡せる展望台へ登った時も、「年間何人くらいここから…」という疑問が脳裏をかすめた。
七田が子どもの頃歩き回ったという山道は、「ケモノ道…」「両脇が断崖…!」という場所だった。
「年間何人くらい行方が…」
この男は自然児だったのか?
七田の幼少時代の記憶を頼りに目的地の1つ、親鸞の巨大な石像のある公園(ガイドブックには載っていない)や生家を案内された。
まるで5、6才の子供の探検ごっこに巻き込まれたような気持ちになった(実際は45のおっさんなのだが・・・)。
それでも彼いわく、山は削られ自然は随分なくなったのだという。
ここ十数年、世の中特段の変化もない様に思っていたが、40年前の美し過ぎた想い出の土地は、彼にとっては余りにも変わり果てていたようだ。
異国情緒あふれる素敵なこの土地にはいずれまた訪れたい。
しかしこの旅で、七田が長崎市ではなく佐世保市出身であると判明した瞬間が私にとって一番印象的だった。